中国の古典である『三国志演義』に、こんなエピソードが記されています。
魏の支配権を確立した曹操は、敵の劉備が治める蜀を併呑しようとして攻め込みましたが、戦況は一進一退を続け完全に膠着状態に陥ってしまいました。
『このまま戦を続けるか、あるいは撤退するか?』
曹操は思い悩みますが、容易に結論を出すことが出来ませんでした。
そんなある日の事、曹操の食卓に鶏が上りました。鶏は曹操の大好物でしたが、戦況に気を取られていた曹操は気もそぞろで味も良く分かりません。
そこに、曹操の家来が命令を受領に来ました。鶏を口にしていた曹操は、彼に対して何気なく『鶏肋(けいろく)、鶏肋』(鶏肋=鶏のあばら骨)とつぶやきました。
深慮遠謀で知られた主君の言葉ですので、含蓄のある命令だと考えて『はっ!』とその家来は主君の前から辞したものの、『鶏肋』とは何の意味だか全く分かりません。
仕方がないので、他の家来たちに主君の言葉を伝えて解釈を請うたのですが、誰も主君の意図を説明できるものはいませんでした。
そこに、とある知将が通りかかりました。主君の言葉を聞いた途端、彼は『撤退の準備を始めよう』と言うではありませんか。
驚いた他の家来たちに説いて曰く、『鶏のあばら骨の間の肉は美味であるが、わずかしか肉が付いておらず手間をかけて肉をこそぎとって食べる甲斐がない。かといって捨てるには惜しい。これは、まさに我々の直面している戦いそのものだ。主君がわざわざ『鶏肋』とおっしゃったということは、この戦では得るものが少ないとお考えになっているに違いなく、つまりは撤退を決意されたということだ。』
これを聞いた他の家来たちはなるほどと思い、直ちに撤退の準備を開始しました。
眼前のものにしがみつくというのは、往々にして悪手となります。ですが、悪手と分かっていても容易に捨て去れないものはありますよね?
例えば、ブラックな職場。
あるいは、原発。
一つの究極としては、自らを進退窮まる状態に追い込みつつある社会のシステム。
撤退すれば良いものを中々踏ん切りがつかない。だから、撤退戦はいつも難しい。
先ほどのお話には、続きがあります。
陣地の様子が騒がしいことに気づいた曹操が外に出てきた時には、全軍が撤退の準備中でした。
驚いた曹操が理由を尋ねたところ、件の知将が撤退すべしと語ったと家来が説明しました。
曹操は愕然としました。なぜならばその知将が言ったように、撤退が最善策であると自身の心の奥底では考えていたことに気づかされたからでした。
同時に、曹操は自身の心を自らの掌を指すがごとくに読み取った彼の明敏さが恐ろしくなりました。そして、自身の統帥権が犯されたことに非常な怒りを感じた曹操は、部下に命じました。
『斬れ、あやつを斬り捨てるのだ!』
こうして、知将は処刑されました。一方で、自身の心の弱みを振り払うかのように、曹操は全軍に継戦を指示しました。
しかしながら、その後も戦況ははかばかしくありません。家来たちからも厭戦気分が感じられるようになってきました。
このまま戦いを続ける事の愚を悟って、ようやく曹操は撤退を決意したのでした。
やはり、撤退戦は難しい。
そして、今の日本は否応なく難しい撤退戦を強いられています。その難しさは、問題が分かっているのに放置することで、ますます難しくなっていきます。
『そうした中で、個人はどうすれば良いのだろうか?』といつも考えているのですが・・・。
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