株式投資について、世間一般では次のように理解されています。
安く株を買って、高くなったところで売って、利ザヤを得ること
そして、実際に多くの株式投資家は利ザヤを狙って取引をしています。私の感覚では、利ザヤ狙いの株式投資家が8~9割を占めているのではないかと思います。
投資家のやるべきことは『お金を産みだす仕組み』をつくること
でも、『利ザヤ狙い』という方法は認めるとしても、それは投資としてはちょっと違うんじゃないかな?と思うところもあるんですよ。
何を言いたいかというと、利ザヤを狙った投資というのは、最終目標がお金を得ることに向かっているわけですよね。
でも、お金は価値交換の手段であり価値保存の手段でもありますが、ある意味それだけなんですよね。使ってしまえばおしまいです。
そして、お金自体が何らかの価値を産み出すわけでもない。お金を使って
得られたものはプライスレスだ!
と何かのCMでありましたが、そうした価値観は認めます。ですが、現実的に経済的な価値を生み出しているわけではありません。(プライスレスなものを得た個人が仕事を頑張って経済的な価値を生み出すかもしれませんが、それは人的資本が価値を生み出したと理解されるべきではないかと思います。)
私が配当株に投資しているのは、保有する株式ポートフォリオが配当という形で
お金という価値のあるものを産んでくれる
からです。これぞ
キャッシュマシーン
と呼ぶにふさわしい。
そうしたお金を産む仕組みを作り上げてしまえば、それこそ心置きなくお金を使って
プライスレスだ!
と語れるわけで、順番が逆なんじゃないかと思うのです。
『まとめ』らしきもの
株式投資で鞘取りに終始すれば、お金が投資の終着点となります。
そうではなくて、お金を産みだすシステムを作り上げることを最終目標とすべきではないかと私は考えます。
でわ。
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